きちんと作る、は手段に過ぎない。楽しませるとは何か。ダイナミックコードについて

2017年秋アニメにダイナミックコード(DYNAMIC CHORD)という作品がありました。"クソアニメ"という言葉には最近批判的な風潮を感じますが、まあ便利なのでこの言葉を使うと、この手のクソアニメは大体見る方ですが、この作品については知り合いがハマっていたこともあり、特に毎週リアタイで見るのが習慣になってました。リアタイでアニメを見ると、こう何か変な脳内物質が出てるのかわかりませんが、随分と楽しめ、また思い入れが湧くものです。

展開の自然さ、とはともすると作り手の余計なこだわりになり得るのではないか。このアニメを見て、そんなことを思いました。会話してたら突然シャッター音がエコーして場面切り換え。会話のキャッチボールでボールを受け取って突然フリーズしたり、突然場外に放り投げたり、シュールな会話はとても目につきます。作品で一番やりたいシーンに向けて緩急つけるのが普通であって、それがボケるような演出は普通やりたくない、どんなオチでも23分経ったらBGMで強制的に引きを作るなんて手抜きに見える訳です。普通に考えたら、普段からリアルさを担保しておいて、見せたいシーンで視聴者にちゃんと感激して欲しい訳です。でもこれらにおける正解って、本当に"ユーザーフレンドリー"なのかなと。

この作品について特に多く見たコメントとして「自然な流れ」というのがありました。「自然な流れ」というのはもちろん、ほとんど任意のタイミングで挟まれてくるライブシーンを「自然だ…」と言って笑うコメントですが、4組計16名ものバンドメンバー、カメラマンの道明寺(主人公!)にマネージャー2人、そして社長と登場人物が非常に多いこのアニメで、この演出は実は盛り上げつつ場面を切り替える非凡な方法だったようにも思います。実際、キャラクターの関係は非常に整理されて提示され、こんな人数話が頭に入るか!と思っていた当初が嘘のように段々とキャラの特徴が掴めてくる感覚がありました。このごった煮の鍋のような中でストーリーを作り出すのは恐らく簡単ではないでしょう。真面目に会話してたら、ストーリー上自然な盛り上がりだけを求めていたら、恐らく1クールのアニメとして盛り上がる場面は相当限られてしまうはずです。もちろん、この手のアイドルアニメには名作がたくさんありますから、資金とリソース、スタッフを集めることができれば、"きちんと作る"こともできるのでしょうが、アニメを作るという場面においてそういう状況があまり揃わないことは想像できます。実際アニメの制作の何を知ってる訳でもないのでこれは完全に妄想ですが、こうした状況になったとき潔く"こだわり"を捨て、視聴者を楽しませるという"こだわり"で動くのはある意味これもまたプロの仕事と言えるのではないか、魅力的な"クソアニメ"にはそういう筋が通っているのではないか、そんなことを感じました。

様式美を作って視聴者を楽しませる。リソースが厳しいのに、「追いかける」という定番ながら盛り上がる展開をたくさん書く。意味不明な流れでも構わないからとにかく毎回オチを作る。これって作り手としてどうしても持ってしまうプライドとよほど向き合い切っていないとできない気がします。アニメというのは表現の幅が広すぎて、"自然さ"すら手段の一つになのかもしれません。